密室から始まる歴史浪漫譚
目を覚ますと、瞼の隙間から金髪のイケメンが見えた。
「お、起きたな。あんた——」
「ひっ、いいいいいい! なななななんなんですかあなたは!?」
飛び起きた私はお尻を引き摺りながら全力で後退った。するとイケメンは眉を顰めて呆れた表情を浮かべた。
「あのなぁ、こんな状況であんたがぐうぐう寝てるから俺がわざわざ起こしてやったんだろうが」
「こ、こんな状況って、私を襲うという意味ですか!?」
「はあっ!? お、襲わねえよっ! 寝ぼけてんじゃねえぞ!」
「とっくに目は覚めてますよ! っていうか、あなた誰なんですか?」
「お、俺はエヴァンだ」
「なるほどそれが強姦魔の名前というわけですね」
「だからちげえって言ってんだろうが! 頼むからさっさと状況を飲み込んでくれよ!」
イケメンもといエヴァンという名の青年があんまり深刻な表情で訴えるものだから私はふと冷静になった。
「状況? ……あれ、そういえば私なんでこんなとこで寝て……っていうか、ここはどこなの?」
私は周囲を見回した。高い所から入ってくる月明かりで照らされた室内は薄暗く、天井を見渡そうにも真っ暗で何も見えない。肌に感じる空気は湿っていて妙にひんやりとしている。
——確か私はオコーネル先生のお顔を少しでも拝見しようと図書館にやってきたはず……あっ。
そのとき、閃光のように脳裏に記憶が蘇った。
「あーっ! そうだった、オコーネル先生の読書会にどうにか潜り込めないかと思ってたのに! 私ったら変な倉庫に気を取られて……い、今が何時か分かる!?」
エヴァンは懐から懐中時計を取り出した。シャキッと鋭い音が鳴ると、彼は文字盤を月光へ翳した。
「九時だ」
オーガスタ・モーガン記念図書館の閉館時間は六時だ。当然ながら読書会などとうに終了している。
「嘘でしょ! 私としたことが寝過ごすなんて!」
私が頭を抱えると、エヴァンは溜息を零した。
「なんだよ、あんたあの先生の親戚か何かか?」
「えっ、あなたオコーネル先生を知ってるの!?」
「知ってるも何も、俺も読書会に招待されてたんだよ」
私は驚きのあまりに大きく息を飲み込んだ。
「えーっ! じゃあ、あなた学者か政治家なの!?」
「どっちも違う。俺は軍人だ。海軍の士官をやっている」
海軍と聞いて、私はすぐにぴんっときた。
蒸気機関が動力源として船に搭載されて以降、海軍はどんどん増強され、今や昔のような海賊紛いの無頼漢の寄り合いではない。正式に訓練された水平たちを学校で軍事の基礎を修めた士官が統率する洗練された組織だ。
そして、そんな風にイケてる軍隊に生まれ変わった我がエルージア王国の海軍士官といえばカッコつけたがりの貴族のボンボンと相場が決まっている。
「ははーん。そういうこと。エライ人のおまけで参加したのね」
「むっ。棘のある言い方だが、まぁその通りだ。俺は来月あの先生の付き添いで南西の島に向かうことになっているんだ。今日はその挨拶に来たんだ」
「いいわね、お貴族様は。コネで先生のお話を聞けて。私だって、先生の研究しているテーマのお話を沢山聞きたいのに……」
「はあ!? あんなどこぞの島の生き物だとかそこに住んでる奴らの話してる言葉だとかそんなもん聞いてどうすんだ?」
「そ、そそそ、そんなものですって!?」
私は思わずエヴァンに詰め寄った。
「いいことっ! 先生の研究が進めば世界中の民族の起源が分かるのかもしれないのよ!? この島国に住んでる私たちが大陸の何処から来たのかということももうすぐ分かるの!」
「へー、そうなのか」
「っていうか、あなたなんでこんな所に居るの?」
「昼からずっと寝てた」
「ね、寝てた? 読書会は?」
「俺の事なんかそっちのけでオッサン共が盛り上がってたから、抜け出してここで居眠りをしてたんだよ。別に俺が居なくなっても、誰も気が付きもしないだろうと思ってな。まぁ、寝過ごしちまったのは迂闊だったけどな」
私は言葉を失っていた。唖然として見つめていると、エヴァンはいかにもどうでも良さそうにかぶりを振り、おまけに盛大な欠伸を零した。
私はふいに眩暈を覚えた。
「なんてことなの。こんな野蛮な人が参加できて、なぜ私は先生のお顔すら拝見できないの……」
そのとき、エヴァンの眉がぴくりと跳ねた。
「聞き捨てならねえな。あんたこそ先生の読書会に潜り込もうとか不埒な事考えてたくせによ」
「うっ……し、仕方ないでしょ! 招待されてないんだから!」
「じゃあ、諦めろよ」
「……いや」
「はあ? そんな子供みたいに駄々を捏ねたって仕方ねえだろ」
「ふんっ。少し前借するだけよ」
「なんだよ、前借って」
「将来、私は先生の読書会にもお呼ばれされるような大作家になるもの。だから今の内に参加しても構わないでしょ」
「さ、作家ぁ? あんた女だろ? まさか、それで食ってく気なのか?」
私は目に力を込めてエヴァンを睨みつけた。
「そうよ。悪い?」
エヴァンはまるで奇妙なものでも見るような目つきで私の顔をまじまじと拝んでいた。
「変わった奴だな。普通に結婚して子供でもこさえてりゃいいのによ」
「嫌よ。私、自立したいの」
「へぇ……それで、なんで作家なんだよ? 他に仕事なんて山ほどあるだろ?」
「……まともな職業が他にあると思う?」
私が俯くと、エヴァンはふいに私の方から顔を背けた。
「そうだな。確かに、あんたにゃそっちのがお似合いだ」
私は自分の貧相な胸と枝のように細い手足を見下ろして、溜息を吐いた。嫌いだった。ひもじい子供時代がそのまま鏡写しになったようなこの自分の容姿が。
「そんで、あんた名前は何ていうんだ?」
顔を上げると、エヴァンと目が合った。私はまっすぐに彼の目を見つめ返した。
「私はアメリア・アッカーソン。父は教師よ」
「なんだ、じゃあ教師になればいいだろ」
「いやよ。あんなの余程のお人好しじゃないとやってらんないわ」
そう。他人様の子供の為に学費を工面したり、無償で読み書きを教えて、家族にはさもしい暮らししかさせないような私の父みたいに。
「だったら、字や数字を読めるのを産業で活かせばいいじゃないか」
「馬鹿にしないで。私は女工だの砲兵だのになる気はさらさらないの。他人から顎で使われるのなんてごめんよ」
「我儘だな。産業が国を支えてるんだぜ? そして守っているのは俺たち軍人だ。それに比べりゃ、作家なんて空想を世の中に広めるばかりで何も産み出しやしない役立たずじゃないか」
私は腸がぐつぐつと煮え滾るのを感じて、頭に血が上るのをぐっとこらえた。
だけど、一度湧きだした怒りはどうしても収まらない。
「よくも……よくも言ったわね。空腹も眠気も忘れて朝まで夢中で本を読んだこともない癖に。欲しい服を我慢して冬の寒さに震えながらページを捲る気持も知らない癖に!」
エヴァンはしばらく私の顔を見つめると、ふと肩を落とした。
「悪かった。俺の失言だ。謝るから、どうか冷静になってくれ」
「こう見えても私、今すごく冷静よ」
「そうか? じゃあ、その涙を拭いてくれ」
私ははっとした。
慌てて目元を袖口で拭うと、温かい染みが手の甲を伝った。
「……さて、と。そんじゃ本題に入るとしようか」
私は怪訝になって首を傾げた。
「本題って何よ?」
「今から二人で考えるんだよ」
「考える?」
「そう。この部屋からの脱出方法をな」
「…………え?」
《試し読み版 / 終》
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